1700_Kairyo-Yu
大きなクジラに出迎えられ、ぼくたちは改良湯の門をくぐった。 サウナは盛況で、裸の男性が巡礼者のような面持ちで無言の列を成している。 10分ほど並び、運良く2段目最奥部というベストポジションに座ることができた。 ほどよい湿度と熱に包まれて、もう少しだけぼくは想いを巡らせる。
・東京の西側に住んでいたぼくにとって、山手線は自身の生活圏と都心部を分かつ壁であった
・その壁は、円弧の一部というよりも東京を南北に縦断する直線的な形状をしていた
・壁は「新宿~目黒、およびその前後2~3駅」により構成され、品川駅がぎりぎり含まれていた
・ゆえに、ぼくにとって品川駅は、壁の南端(=7時の方向)に位置していた
ということだろう。
しかし、まだ何かがひっかかる。 どうして壁の端が五反田でも大崎でもなく、そして田町でもなく、品川なのか? 品川駅だけを強固に西側に引きつける要因が他にもあるのではないか?
サウナハットの中が朦朧としてきて、ぼくはサウナを出て水風呂に入る。 広々とした水風呂で四肢を伸ばす。ちりちりと肌が粟立つのが分かる。
広い水風呂というのは良いものだ。 入れ替わり立ち代わり、蒸された男性陣を迎え入れてもなお、きりりと冷えたままである。 口元ぎりぎりまで水に浸かり、十分に熱の放射を済ませ、脱衣所のプラ椅子に腰かける。
椅子の向かいには、同じタイミングで水風呂を出たIPが白いプラ椅子で脱力をしている。 目が合うと「水風呂、ええ感じやな」と声を掛けてくれた。ぼくは黙ってうなずく。
100℃で蒸されたIPの語る関西弁は、キャッチーな明るさというよりもむしろ、屋久杉のような落ち着きとともに僕の耳に響いた。彼もまた、就職を機に上京した地方出身者である。
地方出身者・・・。そうか。
プラ椅子で瞑想に近い状態のぼくは、ようやくひとつの結論にたどり着く。 僕にとっての品川駅は、確かに、西側の生活圏と都心部を分かつ壁の一部である。 しかしそれ以上に、上京以前、幼少期から抱いてきた強固なイメージが存在していた。
それは、東海道新幹線という日本の大動脈を受け止める、東京の入り口としてのイメージである。 地方出身者のぼくにとって、新幹線は西日本のあらゆる都市と東京とを最短距離で結ぶ手段であり、品川駅はその強力な引力によって西側に位置づけられることになったのだろう。
むろん、実際は東海道新幹線は品川から真西に進むわけではなく、関東第二の大都市である横浜を経由するために南下する。Google Mapで確認するまでもない。 「新幹線は品川駅を接点として円周から飛び出し、新横浜駅をめがけて南下する」事実、数字の「9」のイメージ。 これを強く思い描くことで、ぼくは品川駅をあるべき場所に位置づけ直すことができるはずだ。
できるのか、と内なる声が問いかける。 30数年かけて形成されたイメージだ、昨日今日の話じゃないぞ。タイルの目地にこびりついた水垢みたいなもんで、そうそう取れやしない。いいじゃないか、お前の中の品川駅が西にあっても。誰も困ることはないさ、と。
一瞬、諦めそうになる。が、浸かったばかりの水風呂を思い出し、ぼくは奮い立つ。
あの広々とした水風呂の美しさ。染み一つない、磨き抜かれた浴槽。 大丈夫。おじさんになってからでも、イメージは書き換えられる。たとえ小さな染みであっても、見つけたからには、放っておくわけにはいかない。でなければぼくたちは、水垢にまみれた、本当のおじさんになってしまう。
すっかり身体の水滴は乾いてしまった。ぼくは確信とともに立ち上がる。 勢いづいたプラ椅子が、かこんと軽快な音を立てる。
さあ、第2セットといこうじゃないか。
nu-nu